桐の校章を型どったこの植え込み(柘植)は、かつて事務職員だった中田昭(ナカダアキ)さんからの退職寄贈品です。昭和16年山水発足〜63年迄の長きにわたり学園と共に歩まれた中田さんの、桐朋への想いが詰まっています。
ご本人の希望で寄贈者名すら無いので目立ちませんが、正門を入ると正面にあるので7月17日の紅会の際には是非ご覧下さい。
紅会幹事会からのお知らせ

2012.6.23 幹事会
2012年6月23日学校同窓会ルームにおいて幹事会を行いました。
9月の開催まで約2ヶ月!!
いよいよ案内状の発送準備です。
今回はメール登録のあるメンバーにはメールで。
それ以外は封書で案内を発送します。(7月10日)

返信はメール・FAX等でお願いします。
案内が届いていない方はこちらまで!

2012.3.22 幹事会
3月22日(木)新宿「響」において幹事会を行いました。
9月の開催をめざして、準備を進めているところです。
その準備段階のひとつとして、紅会の名簿をもっときちんと作成し、
把握していこうという話になりました。
卒業時のクラス毎に担当を決めメールアドレスのわかる人から連絡を取り、
「お友達の輪、和、わ」つながりで、
名簿作成の充実を目指したいと思っております。
みなさんのご協力を、よろしくお願い致します!
A組 ヤマコ・B組 ブー
C組 マメコ・D組 エイコ
E組 ヤギメ・F組 クロ
G組 ミキ

クロ・マメコ・ブー・エイコ
ヤマコ・ミキ・ミーコ

2011.12.18幹事会
6月26日(土)の幹事会に際して、
ちょうど18日から帰国中のえいみが飛び入り参加してくれました!
何十年ぶりか(ほとんどの人は卒業以来!)で会ったけど、
全然変わらずすぐに高校時代の私たちになって、積もる話で盛り上がりました。

まずはアンカーヒアでランチ。

みやこ・まめこ・みいこ・えいみ・みき・みたま・やまこ

 今彼女は南イリノイ大学の医学部で准教授をしています。もう10数年勤務しているようです。

「Amy Arai研究室」には彼女のだんな様・マークスもスタッフとして勤務していて、「婦唱夫随(・・・・)」といったところ!?末はキュリー婦人??

ついで、桐朋へも同行してピロティのタイル製作に寄り、エイミの作品を見つけて「あった〜!」「やっぱりソフトボールだね!」とまた盛り上がり・・・。

懐かしい校庭ではなんと試験中で部活中止期間だったにもかかわらず、偶然真野先生に会えたので話しこんでました。

桐朋会ルームでの幹事会中も、つい他の話にズレてしまうと、「さっきの話は決まったの?」「いまはここまでだよ」と軌道修正してくれて、頼もしかったです。


次の日には、もう帰国しちゃうので、17日の紅会には出席してもらえないけれど、異国の地で頑張っているえいみに会えて、私たちも元気になれました。

2年後には、是非紅会で会いましょう。(石塚・西村) 


2010年7/17第8回紅会開催
無事第8回紅会が終了しました。
ご協力ありがとうございました。
幹事のみんなからコメントが届いています。ご紹介します。

2010年7月17日(土)10時短大食堂集合
ぶっつけ本番的状況!バタバタと準備!
取りあえず幹事だけで集合写真撮っておこう〜〜!!
エイコ・まめこ・まほ・ブー・タム・みやこ・たかな
やまこ・みき・みたま・きせこ・みいこ・クロ・やぎめ・もっちゃん



幹事のつぶやき集

名ばかり幹事 もっちゃん
田口先生を偲ぶ会を開催しようと企画されてからわずかな時間でしたが、無事開催できてよかったです。卒業から32年たった今でもみんなパワフルな桐朋生で元気を貰いました。最期まで前向きだった田口先生の教えをずっと大切にしていきたいと思います。

キセコです。
至らぬ点や不手際もあり反省しつつも、お陰さまで盛会となりホッとしています。
「偲ぶ会」には賛否両論ありましたが、やってよかったと思っています。「チグタありがとう〜〜」という楽しい会でした。
先生方からは笑いと涙のエピソードがたくさん聞けましたし、同期の皆様から寄せられた「一言」からも、田口先生は本当に多くの人に愛されたのだなぁ、とつくづく思います。私もチグタ大好きでした!

こんにちは(^O^)/
名ばかりだけ幹事のタムです。
先日の田口先生を偲ぶ会には酷暑の中先生をはじめ数多くの卒業生の皆さんがいらして下さり有り難うございましたm(__)m
そして幹事の中心になってまとめてくれたみーこ、みきちゃん、まっくろエーコ本当にお世話になりました!!
懐かしい皆さんの笑顔に会えて、10代の多感な時期にちぐた先生と一緒に笑い、喜び、時には悩み過ごせた6年間に改めて感謝したいと思いました。
せっかくご縁があって出会えた皆なのでHPを通じてこれからも繋がっていけたら素敵だと思います。

クロです
 暑い一日でしたが、無事に紅会を終えることができ、よかったです!
過ぎてみれば、あっという間に時間が過ぎていて、みんなと語りあう余裕もなかったけれど、みんなでワイワイと田口先生を偲ぶことができて、会としての目的はおおむね達成できたのではないかな〜、と思っています。もちろん、反省点は多々あるものの、みんな忙しいなか時間をやりくりして準備してきたのだから無事に終えられたことで、よしとしてもよいのでは、と思っています。
ミーコも本当にがんばってくれていて、私なんかはほとんど力になれなかったので、今度はもう少し…、と猛省しています。

ミーコ
今回の紅会、出席した人できなかった人、それぞれの皆さんの心にどのように届いているでしょうか。卒業後ずっと幹事として紅会に携わってきて、今回は色々な面で初めてがありました。また、今までいつも心に思うこともあれば、この歳になったから感じたこともありました。
個人的には、入学して初めてのクラス、中1Dの担任が田口先生で、とてもユニークでインパクトがありました。とはいえ、前年に中3だった姉が、新任の田口先生に受け持っていただいていたので、我が家にとっては「初めまして」ではなかったわけです。桐朋には多くの姉妹が在籍しましたから、こういうことは多々あったと思います。上の学年と赤…また、赤と下の学年など姉妹の組み合わせはまさに「色々」!(また、母娘の同窓生もありますね。…)
この「紫と赤」(31期と34期)の姉妹は他にも何人かいました。井村姉妹、岩波姉妹、岡部姉妹、川畑姉妹、坂本姉妹、笹間姉妹、助川姉妹、西村姉妹…今はここまで思い当ります(他にもいらしたらごめんなさい。)この度の田口先生の訃報の連絡に関しては、この姉妹関係が功を奏したように思えます。田口先生の就任1年目の学年と翌年から初の6年間の学年でしたから…。
実は、今回の紅会の中でキセコが紹介してくれた田口先生の退任時挨拶DVDを見て気付くのは、先生のお話の半分は35年前、就任1年目の時の事々…議論をした、相撲を取ったなど、やはり先生にとって紫は懐かしい思い出深い学年だったのでしょう。そして、偶然にもこの31期紫雲会は私たちの紅会の一か月ほど前に同期会を開催し、その中では田口先生のことも報告されたと伝え聞いています。
 私たち幹事会は、今回の開催に関しては特によく話し合いました。ホームページ上に以前にも触れましたが、同期生のすべてが田口先生の担任であったわけではありませんから、先生との接点の濃い薄いは様々だと思います。それでも約三分の二でしょうか。でも、みな必ず現国や古典・漢文を教わりました。6年間で先生の色々な表情を拝見してきました。ただ、特定の先生のお名前を冠して追悼の会とだけすると、出席を躊躇される向きも少なからずあるのではないかという意見もあり、それではということで今までの流れのまま第8回の紅会とし〜田口先生を偲んで〜とつけることにしました。
 佐藤先生がご挨拶の中で「誰々先生の追悼といった趣旨の同期会に出るのは初めてです、聞いたこともありません」とおっしゃられました。そして私が会の冒頭で申しましたように、多くの方々からは驚いた、残念だ、寂しいと「田口先生へのコメント」も届きましたし、出席者の中に卒業後初めてとか久しぶりの参加という方がいつにも増して多かったことからは、開催に意味があったのだと思います。私の心に残っているのは、松川さんからの「入学したての時に一人ぼっちだったけど、少しずつ自分から声をかけてごらん!と田口先生にいっていただいたからこそ、その後の自分がある」という話で、彼女にとっても桐朋にとってももの凄く大切な一言であり大切な存在の先生であったと思えました。先生の十八番『ゲゲゲの鬼太郎』や『ガイコツの唄』などは、およそ教員が生徒に向かって歌ってよいのかしらという内容でも、当時驚きつつも喜んで聞いていました。そういう先生のユニークさからは、人間の生き方、優しさ、人生に対する姿勢、議論をしながらも喧嘩をするのではなく人と人とがお互いに尊重し合いながら高め合う大切さ…そういうものが自然と伝わって、教えられてきたように思えます。大半が私同様一年間だけしか担任ではありません。2回の人は48人、3回の人が20人、そして4回の井上さん!特に高3Fの人たちには一番最後の担任で受験など進路を相談して思い出深いのではないでしょうか。
 もちろん、教わる時間の長さだけではなくて、どの先生方からも私たちは多くの事を学び影響を受けてきました。特にこの学年は数多くの先生方に巡り合ってきましたので、たくさんの見識、いろいろな影響を受け育てられたとみることもできます。それらの全ては、私たちの力になり財産になっているはずです。
 同期会というのは、不思議なもので、ここで会うと途端にあの時代に戻ってしまう、まるでタイムトラベルのようなものですね。目の前にいる同級生たちも自分も白髪交じりになり、皺やシミも見えて、確かに年をとっているのに!…言葉づかいや表情まであの時のように、キャッキャと笑い合い、分かり合える。懐かしい思い出を語り合ってしばし日常を忘れるかと思えば日頃の、例えば旦那の愚痴を言ってみたり子供の悩みを打ち明け合ったり(自慢もあり!) 、仕事の宣伝をしたり、職場の近況を報告したり、現実も持ちこめる。何でも共有できる空間であり、関係ではありませんか?また、卒業してからだんだんと話が合うようになったり、初めて知る一面があったりすることも!
 中には初等部からという人もいますし、または短大や大学も同じという場合もあるでしょうけれど、中1からの6年間または高1からの3年間の10代の多感な日々を、同じ桐朋という屋根の下に育った者同士(そして先生方というユニークで素晴らしいエッセンス!←不可欠!!)、人によってはそれがただの通過点であろうとも、もしも忘れてしまいたいような思い出があったとしても、確実に今の自分の基礎があり、原点があり、何かを共有してきた安心感がある!と私には思えるのです。
 でも、同期の皆が今、置かれている状況、境遇、立場は色々で、思いもまちまちでしょう。それはいつもハガキの近況を読むとよくわかります。今回紅会の案内を出した数は355(所在不明者などを除き)、うち返事の数は239(メールも含む)。残りの116はお返事なしなのです。欠席でもよいから、お返事は欲しい!と思うのですが、もしかすると、同期会なんてものに返事を書いている余裕(時間的?精神的?)もないのかもしれません。それは少し悲しい…のだけれども、それは実は幹事会とて同じことなのです。年齢的にも、出来ない時・動ける時は様々です。無理なく、楽しく、仲良く、できる範囲で、できることを担当しつつ、支え合ってきました。今までの30年間を地固めとしてさらに、ホームページやメールの充実によって、これからも幹事会がしっかりと機能して発信し続けて、ある意味で同期への応援歌的な活動へと整っていければ、少しは意味のある同期会=我らが紅会になるのではと考えます。
 皆さんも、日常の忙しさ大変な事など抱えつつも、数年に一度の同期会のお知らせがきたら、気軽に「元気です!」とお返事を下さい、待っています。そしてホームページ上で母校や仲間の様子を見て励みとしてまた、日常を頑張りましょう!




紅会に出席出来なかった先生方からのコメント紹介!!
出石浩一先生

趣味で始めた仏像彫刻に勤しんでいます。・帰省の為出席できませんが、田口先生を偲びつつ皆様の健康を祈ります。

榎本ゆき子先生

土日の昼間働いており、残念ながらうかがえません。皆様によろしくお伝えください。

坂田 博先生


第一も第二もなくて人生は続いているヨ。昨日今日明日
(定年退職後も教育研究所で常勤講師として変わらず勤められています)

加藤三千代先生
(新迫)


桐朋を退職されて第二の人生をスタートされたばかりでの、あまりに早過ぎるご逝去に心が痛みます。心よりご冥福をお祈りしています。当日は都合が悪く出席できません。皆様によろしくお伝えください。

財満いづみ先生
(水流)



田口先生のご冥福をお祈りいたします。ご迷惑ばかりおかけしていました。でも、いつも明るい笑顔で許していただいていました。早すぎます、残念です。4月末に2人目の孫、先日対面してきました。ホームページ楽しみにしています。

染谷靖夫先生
親友田口先生が天国へ、悲しすぎます。

高橋 公先生

(思い出)先生方の旅行、日昇別荘で新任の田口先生と打った囲碁、勝負はともかく人柄を感じた数局だった。

辰巳千昭先生


故田口先生の追悼の紅会開催、本当に意義ある企画を立てて下さいました。私は当日予定があり欠席させていただきます。皆様のご健康とご発展をお祈り申し上げます。

中村充一先生





田口先生のご逝去衷心よりご哀悼の意を表します。Bブロック職員室でご一緒の時、田口先生が欠勤されました。理由は「眼が風邪を引いた」とのこと。鼻と口にはマスク眼には眼帯では欠勤以外ないと納得。インフルエンザ菌が眼に入り炎症を起こしたのが原因。皆さんも予防の際にはマスクと眼帯をお忘れなく。

野口祥子先生
この3月をもって桐朋小学校の講師も辞しました。

三浦利文先生

暑い暑いと言いながら、クーラーを入れることもなく、絵を描いたり、碁を並べています。所要のため出席できません。

村田 洋先生
デジカメを下手に振り回し、木工に精を出しております。ご盛会をお祈りします。

山下伸子先生


ご無沙汰しております。いつもお世話様です。田口先生のことは私も大変残念に思っております。当日申し訳ありませんが、伺えません。御盛会をお祈り致します。

熊谷 久先生


ご案内をありがとう。田口先生を偲んでの会に是非出席したかったのですが、先約があって参加不可。本当に残念です。皆様によろしくお伝えください。田口先生のご冥福を祈ります。合掌

小林祐子先生

英語科瀧澤先生の代替授業でもう一度桐朋に通っておりました。ここで先生の完全復帰を願っております。

平林春樹先生

昨年暮れに倒れ、目下入院中です。皆さんの「元気」にふれたいものです。(6月8日)

志摩祥子先生
(丸山)

大町と東京を行ったり来たりしながら「いーずら」で仕事をしています。昔の生徒に会えるのが元気の源のようです!

三浦健二先生

遅れてすいません。用事が出来てしまい欠席です。田口先生さようなら。

矢野義幸先生
仕事が入っていて残念ながら出席できません。

6/26幹事会
6月26日(土)の幹事会に際して、
ちょうど18日から帰国中のえいみが飛び入り参加してくれました!
何十年ぶりか(ほとんどの人は卒業以来!)で会ったけど、
全然変わらずすぐに高校時代の私たちになって、積もる話で盛り上がりました。

まずはアンカーヒアでランチ。

みやこ・まめこ・みいこ・えいみ・みき・みたま・やまこ

 今彼女は南イリノイ大学の医学部で准教授をしています。もう10数年勤務しているようです。

「Amy Arai研究室」には彼女のだんな様・マークスもスタッフとして勤務していて、「婦唱夫随(・・・・)」といったところ!?末はキュリー婦人??

ついで、桐朋へも同行してピロティのタイル製作に寄り、エイミの作品を見つけて「あった〜!」「やっぱりソフトボールだね!」とまた盛り上がり・・・。

懐かしい校庭ではなんと試験中で部活中止期間だったにもかかわらず、偶然真野先生に会えたので話しこんでました。

桐朋会ルームでの幹事会中も、つい他の話にズレてしまうと、「さっきの話は決まったの?」「いまはここまでだよ」と軌道修正してくれて、頼もしかったです。


次の日には、もう帰国しちゃうので、17日の紅会には出席してもらえないけれど、異国の地で頑張っているえいみに会えて、私たちも元気になれました。

2年後には、是非紅会で会いましょう。(石塚・西村) 

紅会のあしあと
卒業後32年目となりましたが、これまで7回の同期会を開催してきました。

第1回1978年6月4月 卒業の年  18歳芝・留園
第2回1981年5月30日卒後3年21歳短大学食
第3回1984年7月8日卒後6年25歳青山・ダイアモンドホール
第4回1993年11月28日卒後15年34歳短大学食
第5回1997年5月24日卒後19年38歳調布・クレストンホテル
第6回2003年10月25日卒後25年44歳新宿・サンルート東京
第7回2008年5月17日卒後30年49歳初台・オペラシティ・プリモ
第8回2010年7月17日卒後32年51歳短大学食

紅会幹事メンバーについて
34期の同期会「紅会」の幹事会は卒業時にクラスから2名、14名の同期会委員で始まりました。
A:山下・西村B:市川・田村C:岩波・宮内
D:大野・藤沢E:大村・八木F:岡部・水野
G:石塚・浜



第2回紅会終了時幹事集合

第3回から第4回までは就職・結婚・出産・育児などで間があき、その間に転居や仕事の都合、本人の申告などで委員の交代もありました。さらに連絡がつかない人もでて、新規に加わっていただいたりしてメンバーは大きく変わってきました(半数が加入)。つまり、高3のA組からG組までの二人ずつではなく、近年は主に桐朋女子の保護者となって集まりやすい人に声をかけ、お手伝いいただくという形で維持されています。
 第4回からは生物室に勤務している真鍋さんに学校に関する連絡はお願いして来ました。
【現在の幹事会メンバー】(卒業時姓)
A:山下・西村・吉田(真帆)B:田村・植田・秋元
C:石川・渡辺(和子)D:藤澤
E:大村・八木 G:石塚・真鍋・黒田・大橋



第7回紅会の時(2008年)
(手前)みやこ・もっちゃん・みき・タム・いしし・やぎめ・ブー・くろ・ミーコ
(後列)やまこ・まめこ・まほ・みたま
(エイコ・まなべ・たかな不在)


第7回紅会(前回)報告

日時:2008(平成20)年5月17日(土)
17時〜19時
場所:初台オペラシティ54階・プリモにて
出席:先生16名(今回ご案内を出したのは30名)
卒業生84名  計100名

 第7回紅会は、前回から5年ぶりでしたが、なんと高校卒業後30年目という区切りの年でした。久しぶりに会う同級生の顔は、ちょっと名前が出てこなかったり・・・するので、石塚さんが「在校時」の名札を作ってくれました!これは助かるっ!
 今回は、同日の午後に6年上の赤「茜会」も同期会を開催していたそうで、そのままの流れでおいでくださった先生方も多かったです。お一人ずつお話をうかがうと退職後にも生き生きと趣味や新しいことに取り組んでいらっしゃるなど、やはり桐朋の先生らしいお姿に50歳を目前の私たちもとても励まされました。在任中の先生は、白川先生(高2〔66期白〕の担任)と、坂田先生(教育研究所の『桐朋教育』担当〔「ようこそ先輩」には34期がよく載ります!〕)のお二人です。
 同期の動向はというと、返信ハガキに書かれる近況には、「親の介護があるので行けません」という人がだんだん増えてきました。他には「子どもの運動会・体育祭と重なります」という人、反対に「子どもの手も離れて自由な時間を楽しんでいます」という人、またばりばりのキャリアウーマンまで、さまざまです。
毎回、行方不明になる人が増えるので、どうか今後は住所変更の際はこのHPにご連絡くださいね!                                         (文責:西村) 

先生テーブル

司会 やまこ ごめん〜横向いてる〜

小笠原先生のご挨拶

ミキ・ミーコ 挨拶


黒瀬・田口先生・ミーコ

カンカン・佐藤先生
      

小笠原先生・飯塚・新納・岩波・矢沢・みほ

 閉会の挨拶  くろ

受付‘嬢’
いしし・もっちゃん・みやこ・やぎめ
ブー・みき・まほ・クロ

幹事達 無事終了にホッ!!
前列左から 
やまこ・みーこ・やぎめ・みき・タム・ブー
後列左から 
いしし・もっちゃん・まめこ・まほ・みたま・クロ



第4回紅会 1993年11月28日
1993年11月28日、桐朋学園短大学食にて行いました。卒業後15年、前回から9年目の開催、参加人数125人。この時は受付の後まず、新しくできた東館の地下B001というホールで桐朋創立50周年記念映画『桐華譜』を鑑賞し、その後、短大学食に移動。
久しぶりの開催で母校ということもあってか参加人数が多かった。

写真をクリックしてみて


第6回紅会 2003年10月25日
2003年10月25日、新宿ホテルサンルート東京にて行いました。卒業後25年、前回から6年目、参加95人。この時は体育祭のビデオ上映をしました。視聴覚室のご協力で、団体徒手の私たちと同じ演技の映像と、近年の、曲も演技も新しくなったものを見ました。
特に目を引いたのは最近の子達の手足の長さ・・・でしょうか。

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桐朋会(同窓会)について
同窓会である「桐朋会」の役員は後藤史さんから大成(黒田)昌子さん・木下奈穂さんに交代しました。