
ミーコ
今回の紅会、出席した人できなかった人、それぞれの皆さんの心にどのように届いているでしょうか。卒業後ずっと幹事として紅会に携わってきて、今回は色々な面で初めてがありました。また、今までいつも心に思うこともあれば、この歳になったから感じたこともありました。
個人的には、入学して初めてのクラス、中1Dの担任が田口先生で、とてもユニークでインパクトがありました。とはいえ、前年に中3だった姉が、新任の田口先生に受け持っていただいていたので、我が家にとっては「初めまして」ではなかったわけです。桐朋には多くの姉妹が在籍しましたから、こういうことは多々あったと思います。上の学年と赤…また、赤と下の学年など姉妹の組み合わせはまさに「色々」!(また、母娘の同窓生もありますね。…)
この「紫と赤」(31期と34期)の姉妹は他にも何人かいました。井村姉妹、岩波姉妹、岡部姉妹、川畑姉妹、坂本姉妹、笹間姉妹、助川姉妹、西村姉妹…今はここまで思い当ります(他にもいらしたらごめんなさい。)この度の田口先生の訃報の連絡に関しては、この姉妹関係が功を奏したように思えます。田口先生の就任1年目の学年と翌年から初の6年間の学年でしたから…。
実は、今回の紅会の中でキセコが紹介してくれた田口先生の退任時挨拶DVDを見て気付くのは、先生のお話の半分は35年前、就任1年目の時の事々…議論をした、相撲を取ったなど、やはり先生にとって紫は懐かしい思い出深い学年だったのでしょう。そして、偶然にもこの31期紫雲会は私たちの紅会の一か月ほど前に同期会を開催し、その中では田口先生のことも報告されたと伝え聞いています。
私たち幹事会は、今回の開催に関しては特によく話し合いました。ホームページ上に以前にも触れましたが、同期生のすべてが田口先生の担任であったわけではありませんから、先生との接点の濃い薄いは様々だと思います。それでも約三分の二でしょうか。でも、みな必ず現国や古典・漢文を教わりました。6年間で先生の色々な表情を拝見してきました。ただ、特定の先生のお名前を冠して追悼の会とだけすると、出席を躊躇される向きも少なからずあるのではないかという意見もあり、それではということで今までの流れのまま第8回の紅会とし〜田口先生を偲んで〜とつけることにしました。
佐藤先生がご挨拶の中で「誰々先生の追悼といった趣旨の同期会に出るのは初めてです、聞いたこともありません」とおっしゃられました。そして私が会の冒頭で申しましたように、多くの方々からは驚いた、残念だ、寂しいと「田口先生へのコメント」も届きましたし、出席者の中に卒業後初めてとか久しぶりの参加という方がいつにも増して多かったことからは、開催に意味があったのだと思います。私の心に残っているのは、松川さんからの「入学したての時に一人ぼっちだったけど、少しずつ自分から声をかけてごらん!と田口先生にいっていただいたからこそ、その後の自分がある」という話で、彼女にとっても桐朋にとってももの凄く大切な一言であり大切な存在の先生であったと思えました。先生の十八番『ゲゲゲの鬼太郎』や『ガイコツの唄』などは、およそ教員が生徒に向かって歌ってよいのかしらという内容でも、当時驚きつつも喜んで聞いていました。そういう先生のユニークさからは、人間の生き方、優しさ、人生に対する姿勢、議論をしながらも喧嘩をするのではなく人と人とがお互いに尊重し合いながら高め合う大切さ…そういうものが自然と伝わって、教えられてきたように思えます。大半が私同様一年間だけしか担任ではありません。2回の人は48人、3回の人が20人、そして4回の井上さん!特に高3Fの人たちには一番最後の担任で受験など進路を相談して思い出深いのではないでしょうか。
もちろん、教わる時間の長さだけではなくて、どの先生方からも私たちは多くの事を学び影響を受けてきました。特にこの学年は数多くの先生方に巡り合ってきましたので、たくさんの見識、いろいろな影響を受け育てられたとみることもできます。それらの全ては、私たちの力になり財産になっているはずです。
同期会というのは、不思議なもので、ここで会うと途端にあの時代に戻ってしまう、まるでタイムトラベルのようなものですね。目の前にいる同級生たちも自分も白髪交じりになり、皺やシミも見えて、確かに年をとっているのに!…言葉づかいや表情まであの時のように、キャッキャと笑い合い、分かり合える。懐かしい思い出を語り合ってしばし日常を忘れるかと思えば日頃の、例えば旦那の愚痴を言ってみたり子供の悩みを打ち明け合ったり(自慢もあり!) 、仕事の宣伝をしたり、職場の近況を報告したり、現実も持ちこめる。何でも共有できる空間であり、関係ではありませんか?また、卒業してからだんだんと話が合うようになったり、初めて知る一面があったりすることも!
中には初等部からという人もいますし、または短大や大学も同じという場合もあるでしょうけれど、中1からの6年間または高1からの3年間の10代の多感な日々を、同じ桐朋という屋根の下に育った者同士(そして先生方というユニークで素晴らしいエッセンス!←不可欠!!)、人によってはそれがただの通過点であろうとも、もしも忘れてしまいたいような思い出があったとしても、確実に今の自分の基礎があり、原点があり、何かを共有してきた安心感がある!と私には思えるのです。
でも、同期の皆が今、置かれている状況、境遇、立場は色々で、思いもまちまちでしょう。それはいつもハガキの近況を読むとよくわかります。今回紅会の案内を出した数は355(所在不明者などを除き)、うち返事の数は239(メールも含む)。残りの116はお返事なしなのです。欠席でもよいから、お返事は欲しい!と思うのですが、もしかすると、同期会なんてものに返事を書いている余裕(時間的?精神的?)もないのかもしれません。それは少し悲しい…のだけれども、それは実は幹事会とて同じことなのです。年齢的にも、出来ない時・動ける時は様々です。無理なく、楽しく、仲良く、できる範囲で、できることを担当しつつ、支え合ってきました。今までの30年間を地固めとしてさらに、ホームページやメールの充実によって、これからも幹事会がしっかりと機能して発信し続けて、ある意味で同期への応援歌的な活動へと整っていければ、少しは意味のある同期会=我らが紅会になるのではと考えます。
皆さんも、日常の忙しさ大変な事など抱えつつも、数年に一度の同期会のお知らせがきたら、気軽に「元気です!」とお返事を下さい、待っています。そしてホームページ上で母校や仲間の様子を見て励みとしてまた、日常を頑張りましょう!